外地について

外地とは何か

 唐突な話題と思われるでしょうが、過去に相続登記がされていないために発生している所有者不明土地の問題では、実務的にも避けて通れないのが過去の歴史的問題です。
 つまり、1952(昭和27)年4月28日に「対日平和条約」が発効したことにより、外地では日本国籍の取得・喪失が発生したのです。(なお、日本の新民法の発効について「内地」でも時間差があったことは先日述べた通りです)。

外地という言葉

 外地という言葉は、植(殖)民地(コロニー)とも言われていました。ただ、この言葉には帝国主義的搾取の連想を伴っていたために、批判の対象になっていました。
 この言葉には昭和4年6月に拓務省が設置されるのを機に議論が高まり、「外地」という言葉を使用するようになったと言われています。
 もともと「内地」という言葉が法令用語としても一般的だったことからその対称的言葉として定着したのでしょう。

法的な外地

 ある程度以上の年齢の方は「私は外地から引き揚げてきた」とか「私の親戚は外地に今も留まっている」という話を聞いたことがあるでしょう。
 その「外地」は今はありません。1952(昭和27)年4月28日に「対日平和条約」が発効したことにより消滅したことによります。
 その言葉が指す地域の法的定義は、一つは「帝国憲法制定以後、外国から継承取得した地域」(時点説)だとするもの、もう一つは「通常の手続きで法律が施行されない地域」(異法地域説)だというもので、こちらが大半の学者も支持するものです。
 外務省の見解も後者の異法地域か否かで内地と外地を区別する立場を取っていて、「外地とは内地=日本本土(Japan proper)に対して、法制上異なる地域、すなわち日本の領土中憲法の定める通常の立法手続きで定立される法が原則として施行されない地域、換言すれば異法地域(the territory governed by laws other than those of Japan proper)を指称する」と説明しています(外地法制誌「外地法令制度の概要」1頁)。

具体的な外地

 具体的な外地とは、朝鮮、台湾、関東州租借地および南洋委任統治地域、そしてちょっと例外的ですが、昭和18年4月1日に内地に編入される前の樺太です。これらの地域に付属する島嶼も外地です。
 上記のように、一旦外地とされながらも内地に編入された樺太の存在が、昨日説明した時点説、つまり「帝国憲法制定以後、外国から継承取得した地域」だとする説明が否定される大きな要因となっています。

いつ外地になった

台湾

 時系列的に言うと、まず明治28年4月1日に下関で調印された日清講和条約で清国が「台湾」の「主権竝に城塁兵器製造所及官有物」を永遠日本に割与することになりました。

樺太

 明治38年9月5日にポーツマスで調印された日露講和条約で露西亜帝国が「樺太」の「一切の公共造営物及び財産を完全なる主権とともに」永遠日本帝国政府に譲与しました。

朝鮮

 そして、朝鮮(協約時点では韓国)は同じ明治38年11月17日の日韓協約により、日本の保護下に入ったあと、明治43年8月22日京城で調印された日韓併合に関する条約「一切の統治権を」完全且永久に譲与しました。(この時に国号が朝鮮に戻りました)

関東州租借地

 上記の樺太と同時に関東州の租借権も露西亜から日本に譲渡され、関東州租借地も外地となりました。ただし、この地域の主権は清国にあることが樺太とは違います。

南洋群島委任統治地域

 その後、大正9年12月17日、ジュネーブにおいて国際連盟理事会が作成した「南洋群島に対する日本国の委任統治条項」により南洋群島委任統治地域が、独逸の「一切の権利(ただし受任国として各種制限あり)」が付与されました。

外地人の国籍

 昨日、台湾、樺太や朝鮮、そして関東州租借地や南洋群島委任統治地域が外地となったことを書きました。
 それでは、それがの外地にいた人々(外地人と書きます)は日本国民となったのでしょうか。
 このことは、実務上も大きな論点となりますが、それぞれの地域が外地となった時の条約等で異なります。
 要約すると「台湾の外地人は二年の期限をもって日本国籍を取得することができた」「樺太の外地人は昭和18年4月に内地編入されるまでは日本国籍とはならなかった」「朝鮮の外地人は日本国籍を取得した」「関東州租借地の支那人、南洋群島委任統治地域の外地人は当然には日本国籍とはならなかった」です。

台湾人の国籍

 日清講(媾)和条約の第五条第一項は「日本国へ割与せられたる地方の住民にして右割与せられたる地方の外に住居せむと欲する者は、自由に其の所有不動産を売却して退去するを得べし。その為め本約批准交換の日より二ヵ年を猶予すべし。但右年限の満ちたるときは該地方を去らざる住民を日本国の都合により日本国臣民と視做すことあるべし。
 日清両国政府は本約批准交換後直ちに各一名以上の委員を台湾省へ派遣し、該省の受渡を為すべし。而して本約批准交換後二ヵ月以内に右受渡を完了すべし。(ひらがなにし、句読点等を付加しています)」となっています。
 この条文を読むだけでは、条件となっている二年間が経過する間、台湾住民が日本国籍となるのか否かは読み取れません。しかし、様々な議論はあるものの、日本政府はその二年の間は清国国籍であるとの見解でした。
 そのため、明治29年3月19日に「明治30年5月8日前に台湾総督府管轄区域外に退去せざる台湾住民は下関条約第五条第一項に因り日本帝国臣民と視做すべし」という「台湾住民分限取扱手続き」が発せられました。

樺太人の国籍

 明治38年の日露講和条約(ポーツマス条約)の第十条の規定「日本国に譲与せられたる地域の住民たるロシア国臣民に付ては其の不動産を売却して本国に退去するの自由を留保す。但し該ロシア臣民に於いて譲与地域に在留せんと欲するときは日本国の法律及管轄権に服従することを条件として完全にその職業に従事し、且財産権を行使するにおいて支持保護せらるべし。日本国は政事上又は行政上の権能を失いたる住民に対し前記地域に於ける居住権を撤回し又は之を該地域より放逐すべき充分の自由を有す。但し日本国は前記の住民の財産権が完全に尊重せらるべきことを約す。」の通り「樺太の外地人は昭和18年4月に内地編入されるまでは日本国籍とはならなかった」のですが、上記条文の「ロシア臣民」にアイヌなどの樺太原住土着民(樺太土人)が含まれているかが問題です。

 これについては、安政元年の日露通商条約(下田条約)の「国境は是迄仕来の通」とあるように、歴史的紛争の現れで非常にあいまいでした。
 その後、明治8年の「樺太千島交換条約」で交換地域内の日本人、ロシア人は従来の国籍を保持し、土人(原住民)は、三年の猶予で国籍の選択を迫られたのです。つまり、このことから土人もロシア、あるいは日本の国籍を得たわけで、当然「ロシア臣民」にロシア国籍の土人が含まれるようにも思えます。
 しかし、実際には日本政府は「露国臣民とは大陸渡来の露西亜人の意義にして、土着未開人種を包含せざること甚だ明瞭なり」として、国際法上の原則に従い、領土割譲とともに日本の国籍を当然に取得するとしました。

 なお、当時樺太に在住した原住民は、アイヌ、ニクブン(ギリヤーク)、オロッコ、キーリン、サンダー及びヤクートの六種族でした。

朝鮮人の国籍

 明治43年8月22に京城(ソウル)で調印された日韓併合に関する条約には、台湾や樺太の時のような但し書きはなく、以下二条の通りです。

第一条 韓国皇帝陛下は韓国全部に関する一切の統治権を完全且永久に日本国皇帝陛下に譲与す
第二条日本国皇帝陛下は前条に掲げたる譲与を受諾し且全然韓国を日本帝国に併合することを承諾す

この条約は明治43年8月29日に公布即施行されました。

 なお、「韓国」という国号は、この条約公布日に「朝鮮」という国号に戻されました。(勅令三一八「韓国の国号を改め朝鮮と称するの件)

関東州租借地の支那人の国籍

 関東州租借地は、日露講和条約(ポーツマス条約)で、ロシア国が清国から租借していた遼東半島の権益を日本国が継承したことによります。

第五條 露西亞帝國政府ハ清國政府ノ承諾ヲ以テ旅順口、大蓮並其ノ附近ノ領土及領水ノ租借權及該租借權ニ關聯シ又ハ其ノ一部ヲ組成スル一切ノ權利、特權及讓與ヲ日本帝國政府ニ移轉讓渡ス露西亞帝國政府ハ又前記租借權カ其ノ效力ヲ及ホス地域ニ於ケル一切ノ公共營造物及財産ヲ日本帝國政府ニ移轉讓渡ス

兩締約國ハ前記規定ニ係ル清國政府ノ承諾ヲ得ヘキコトヲ互ニ約ス

日本帝國政府ニ於テハ前記地域ニ於ケル露西亞國臣民ノ財産權カ完全ニ尊重セラルヘキコトヲ約ス

 その後、その通りに「満州に関する条約」で清国が承認しました。

第一條 清國政府ハ露國カ日露講和條約第五條及第六條ニヨリ日本國ニ對シテ爲シタル一切ノ讓渡ヲ承諾ス

 日本が継承したロシアの権益は「遼東半島租借に関する条約」第一条「租借行為によって、清国皇帝の主権を侵害しない」旨規定されていました。

南洋群島委任統治地域の外地人の国籍

 上記関東州租借地の支那人の場合と結果は同じなのですが、理由は全く違います。
 日本は第一次世界大戦中、赤道以北の旧ドイツ領太平洋諸国を占領していて、戦争終了後に国際連盟規約と国際連盟理事会で作成された委任統治条項によりC式委任統治地域となったから、そこの外地人は日本国籍を得なかったのです。
 A式、B式、C式の違いはここでは詳しくは延べませんが、どちらにしても国際連盟の公式見解においても、日本政府の公式見解でも受任国の国籍は与えられず「日本国籍は持たないが、帝国の統治に服する」というだけでした。

 従って、関東州租借地と南洋群島委任統治地域は、台湾、朝鮮や樺太とは違い、遺産相続などの実務においては、同じ外地とは言え、全く考慮の対象にはなりません。

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